pipin

英語の記事や洋楽の翻訳したり日記書いたり。翻訳を勉強しています。

覚醒度は高く

読書する

走る

空腹にする

早寝早起き

清潔にする

 

このあたりが重要

 

多分英語が理解できてきて、英語でも頭が回るようになったんだと思う

なんか今までと違って何時間でも集中できるような感覚になっている。

人に見せられるような姿ではないけど、過集中キテる。

多少お金使ってでもこのチャンスは伸ばしたい

メシ

外食をした。いつもの命を食い繋ぐための餌と違って、ちゃんと人間が食べる食事を食えた気がした。

 

あと、知的障害の施設にも行って一人の障害者を見た。彼はいかにも虚ろで、きっと僕の半分はあっち側、半分は健常者側に居る感じなんだろう。

 

僕は僕だから、頑張って健常者になろうなんてつもりはない。

発達障害として、この半分虚ろな人生をどう生きれば幸せか、満足か。

 

今日はとても満足できた。でも美味いメシを食った12時間後、僕はどんな味だったのか忘れて、ウンコしてまたお腹が減ってしまう。

 

12時間寝ようと、セックスしようと、美味いメシを食おうと、僕の脳は大して感動もせず、忘れて、また次の快楽を欲しがる。

 

「じゃあ、僕の人生は美味いメシは要らないな」と、ふと思った

「その通りだ」と、静まり返っていた僕の心は確かに返事をした。

 

 

僕は僕でありたいんだ。

人のために働きたいか?健常者として認められたいか?障害者として施設に行きたいか?親の渡す財産で豪遊したいか?綺麗な奥さんが欲しいか?

全部違う。

 

自分で考えて、自分で行動して、自分を全うしたいんだ。

そのためならメシは不味くて良いし、体は疲れていい。

自分語り

TOEICで800点くらい?取ってから、調子に乗ってトライアル受けたりしたけど全然上手くいかなくて

全身強張りながら訳して過集中で眩暈しながら相手からは断られるって毎日が辛くて、もう頑張るのやめて一日中洋画見たりしていた

 

今は肩の力抜いて毎日雑誌記事とか洋楽とか訳せるようになって、クオリティはさておき、普通に出来るようになったと思う。

 

自分の生活を端的に言えばニートなんだけど、別に仕事がしたくなかったわけでもないし、人間失格というわけでもなく、ただ無能だっただけで

普通にこのまま毎日翻訳していれば僕の人生は良いんだと思う。

 

同じ発達障害の人達を見て、人生はそれで良いんだって気になった。

ドラゴンクエストビルダーズ2

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原作のドラゴンクエストビルダーズはマインクラフトを改造して、人気の高い建築機能を取り入れたものであった。繰り返し作業のゲームながら、レゴブロックで遊んだ私達の楽しい遊び場でありつつ、しっかりとした解説も備えていた。Omega ForceとSquare Enixは、前作の仕組みを全面的に改善した骨太の続編を約束した。

 

プレイヤーは建築能力がほとんどない手助け役の主人公となり、AIで動く仲間マルローと世界を旅して、行きついた先の島を繁栄させていく。前作と違って主人公は新しい土地に復活するのではなく、船で旅をする。最終的には本拠地に戻る港を設置できるようになる。本拠地は初めは荒廃した侘しい場所で、なかなか次の島へ出発できない。時間をかけて復興すると雰囲気は良くなるのだが、実現するには人手が必要になり、人手を集めるためには早く出航する必要がある。

 

メインとなる三つの島では、それぞれ異なる生態系とゲームシステムを見せてくれる。たとえば最初に訪れる島の一つ、Furrowfieldでは農業を習得できる。アンチビルダー教や毒の土地といった魅力的な物語のおかげで、チュートリアル感を感じない造りだ。筆者は楽しんで島の復興や色んなNPC達の手助けをした。自分でもおかしく思うが、村人達が急いで働いたり、プレイヤーが遊具を作ってあげると歓声を上げたりする様は笑わずにはいられなくなる。しかも大きなクエストを達成すると狂ったように喜ぶのだ。村を復興していくと、本拠地に移民を多く引き付けるようになり、料理や土地改善など雑多な仕事を手伝ってもらえる。それによりプレイヤーは世界を探索して謎解きをしたり、周囲のモンスターを討伐する時間を得られるのだ。

 

他の島では採掘と要塞の建設が習得でき、本拠地の島に持ち帰る新たなブロックやアイテムを使えるようになる。オンラインの共同プレイでは友達を呼んで、本拠地でのプレイを手伝ってもらえるのだが、物語の進行には参加させられない。共同プレイは相当に魅力的なコンテンツであるが、最初の物語の島をクリアした後に本拠地でいくつかミッションをクリアしないと共同プレイが解禁しない。この作業には優に十数時間かかる。友達と作業できるのは素晴らしいが、シングルプレイモードが本作のゲームエクスペリエンスのキモなのであり、早く共同プレイをしたいプレイヤーには不向きだろう。

 

また早くゲームを味わい尽くしたいプレイヤーにも不向きである。筆者はドラゴンクエストビルダーズ2を気に入ったが、腰を据えて長旅をする覚悟は必要だ。50時間以上プレイしても尚、新しいアイテムや装備がアンロックしたし、その一部にはオリジナルの設計図を作成できるペンといった重要アイテムもある。追加された新たな建築方法は多岐に渡るが、自由自在に建築をしまくりたいプレイヤーは、物語をかなり進めない限り、ごく限られた作業範囲しかできないと理解することだろう。

 

幸運にも冒険は溌剌として楽しく、少し個性のあるキャラクター達でいっぱいだ。また全体を通して陽気な活劇であるが故に、キャラクターが暗黒面に落ちる等の暗い展開が更に迫力のあるものに感じる。また同様に、暗黒面に落ちた可愛いキャラクターが戦闘で負けたときに「クソッ」とつぶやいた時にも一層の違和感を感じた。筆者はまったくドラクエファンではないのだが、それで楽しさが減じることはなかった。長年のファンはお馴染みのモンスターを見て興奮すると思うが、本作を味わうために過去作を遊ぶ必要はないのである。

 

ドラゴンクエストビルダーズ2は大筋から細部まで大きく改善されている。今作のボス戦は実に楽しい。NPCはより挑戦的な建築プロジェクトを援助してくれるようになって、その間にプレイヤーは別の用事を済ませられる。他プレイヤーの建築物はロード画面やゲーム内の掲示板で表示され、(破壊はできないが)手軽に人の島を覗ける。プレイ時間が許す限り、本作は稀に見る前作の改善版である。きっと週末限りのプロジェクトには収まらないだろうが、絶対に努力に見合う価値がある。

 

 

ゲームシステム理解してないので絶対誤訳あると思う。本拠地を迅速に出発ってどういうことだろう


both large and small
~~でも細部でも改善された

のlargeに当たる部分は何にしようかずっと悩んでいた
先輩に見せるときなどは「細部に至るまで」でいいと思うけど、今回は「大筋から細部まで」にした。
いいよね?

pretty fly(for a white guy) 超イケメン(白人にしては)

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私にちょーだい
ああ、いいぜ
女の子は皆言ってる、俺は白人の割に超セクシーだって

 

毎日上手くやってくだけで大変だって
俺たちはくだらない話してるけど
アイツは知ったかぶり
まったく分かっちゃいないし
イケメンでもない
そして足りてない部分は
真っ向否定して気取るのさ

 

だからマジメに相手にするなよ
アイツには何話したって通じやしない
遊びまくってるアイツに
「しっかりしろ」なんて言うわけないだろ

 

良いところが見つからないなら、とにかく過剰反応しとけよ
司会者みたいに合わせとけばいいから
世界には半端者が必要
だからヘイヘイ新しいこと始めようぜ

 

アイツは音楽にはうるさくて
その辺の曲じゃ満足できない
でもIce Cubeの曲がなければ
一発屋の音楽を買う奴さ

 

高級車を乗り回して
アイツは通りすがりのチンピラを見た
もし振り返っていたら
青いケツにケリ入れられてただろう

 

今度はタトゥーを入れるらしい
本物の墨を入れたんだ
13を頼んだのに31と彫られちまった

 

皆イタイと思っているし
全然格好よくもない
なのに自分の中では
最高にイケてると思ってるんだ

 

 

 

gonna play the field, and keep it real
For you no way, for you no way

「しっかりしろ」

…なんてお前には無理だ!

っていう、手のひら返しみたいな表現なのかな

英語ではよくある印象

 

格好つけようとpintって車乗って、ice cubeってラッパーの曲流して、13て刺青入れようとしたら、pintはアイスの容量だし、流れてるのはvanilla iceだし、刺青は31だし、「ただのアイス屋じゃん」って歌詞。

 

Sea of Solitude(孤独の海)

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メンタルヘルスはゲームで取り扱うには難しいテーマである。ゲーム性と難しいテーマに対する知見との微妙なバランスを取る必要があるが、その二つが意味深く絡み合った時、貴重な体験を得ることができる。CelesteやHellblade: Senua’s Sacrificeといったタイトルがこれに当たるが、Sea of Solitudeもあえて同様のテーマに挑む。その世界観は陰鬱でありながら美しく、数人のキャラクター達はいかにメンタルヘルスに生活を蝕まれているか明かす。

 

Sea of Solitudeの主人公ケイは、自身の孤独によってモンスターに変身した少女である。人間であった頃の朧気な記憶と共に、一部が水中に沈没した町を探索する。ゲームを進めると、すぐに世界で一人だけではないことを悟り、過去の過ちを正すために家族(彼らもまた魔物になっている)を助ける自分探しの旅に出る。Sea of Solitudeは水面下に隠された闇の部分となる複雑な背景を取り入れ、たまに躓きつつも全体的に成功している。

 

徒歩やボートで移動し、屋根を伝って町を抜け、危険を避けつつ旅を進めていく。そして、なにやら巨大なモンスターと出会う。とにかく巨大で、ゾクッとするような雄たけびを上げるモンスターが辺りを徘徊しているのだ。筆者は次はどんなモンスターが待っているのか楽しみになっていた。それに世界が危険を反映して、ケイの両親が口論すると、一気に日没が進んで激しい波が打ち付けるなどの様子も楽しみだった。

 

ケイはそれぞれのモンスターとの繋がりがあり、彼女の内なる闇の反映であったり、苦痛を受けた家族の具現化であったり、モンスターとのエンカウントに面白い深みを加えている。筆者は主要な敵それぞれに共感し、傷つけたくないと思った。幸運にもこのゲームでは敵を傷つける必要がなく、ボス戦は通常の戦闘とは違い、倒すのではなく瓦礫を探索して、ケイが敵の抱える問題を理解し、相手の苦痛をハッキリと見えるようになり、例えば行き詰った関係を解消させるなど、敵の抱える問題を解決する手助けをすればよい。このクレバーな手法でプレイヤーの中にも共感が芽生えるのである。

 

瓦礫の探索はSea of Solitudeの目的の一つである。瓦礫ポイントは黒い煙が渦巻いている光るオーブが表示される。煙を除去するにはジャンプで足場を渡って小型のオーブを集め、光るパズルをすればよい。閃光弾を発射することも可能で、次の目的地のガイドになるのだが、これは唯一の戦闘手段でもある。影の敵を閃光で照らし、次に進むために倒さないといけない場面もあるし、ゲームが進行すると閃光弾を味方に変身させて、手の届かないオーブを取るために、崖へジャンプさせることもできる。敵と戦ったり誘導しても、あまり深く考える必要がないのであまり面白さを感じない。それよりも場面が移る際のナレーションで、ケイの家族に何が起こったのか仄めかす点が筆者は気に入った。

 

影の敵を倒すといった謎解き要素は浅い。たとえば、通りたいドアから敵を離すためにこちらに引き付ける程度だ。ただ仕掛けが簡単なのはそれほど気にならなかった。進行がスムーズだと物語がスラスラと進み、物語はSea of Solitudeの醍醐味であるからだ。

 

キャラクターには深みがあり、瓦礫を探索すると更にケイや周囲の人物について学べる。それぞれの問題はメンタルヘルスに根差しており、たとえばケイの恋人は重度の鬱病に悩まされており、その後イジメに遭っていることを知る。どの感情も真実味を感じるのだが、安直なイジメエピソードは雑に感じられた、短絡的に自殺に結び付けようとするところなど顕著である。他にも、誇張されて違和感を感じる記述や、深層の人格のテーマを性急に飛ばした時にも感じられた。

 

しかし、ゲーム内でその世界をありのまま表現する瞬間は精彩を放っており、キャラクター達が自身の現実と対峙するようになって、彼らの感情を強調するように天候と情景が変化する様を見るのは楽しい。破綻した恋愛関係を探索する時は街が雪に覆われて凍てつき、建物が蒸気を吹き出す弁になって父親の憤怒を上手く反映するなど、街の様子が印象に残った。

 

大雨は危険が迫っている、晴れは安全を示すなど、探索の間は天候が大きな役目を負う。この単純なシステムでプレイヤーに恐怖に備えるタイミングをうまく伝えているのだが、驚かせてくる回数が尋常ではない。暗い水中を魚のモンスターが泳いでおり、捕まると鋭い歯で八つ裂きにされてしまう。濁った海では幽霊の手が飛び出してくることがあり、ケイが触れると海の底に沈められてしまう。こういった恐怖感がSea of Solitudeの空虚な世界によって一層おぞましく感じられる。

 

ゲームにおいて空虚な世界はネガティブに捉えられがちであるが、このゲームにとっては効果的なホラー要素であるだけでなく、ケイの心情を表したり、謎に深みを持たせるなど、適切に感じられる。筆者はケイが孤独である理由や、モンスターだけが生き残っている理由をずっと不思議に思っていた。その答えがすべて明示されることはないのだが、自分なりの解釈や、散りばめられたメッセージをかき集める作業を楽しめた。

 

Sea of Solitudeはメンタルヘルスの症状に苛まれる当人だけでなく、その愛する周りの人々の生活も荒廃させるという深い洞察を与えてくれる。ケイは傾聴の価値を理解し、自身の過ちを受け入れ、家族に共感するだけではなく、常にやり直しが効くわけではないことを受け入れて多くのことを学んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

辻褄を合せるために表現を陳腐にしている気がする

melancholy憂鬱

ravaged荒廃

cast 配役する

intriguing(ポジティブな意味で)複雑

grandiose雄大

bicker 口論する

eradicate根絶する

 ledges岩棚

lackluster 鈍重な

clumsy不格好

stilted誇張した

barren空虚な

speak for itself自明の理

 

ボキャブラリが足りない

 

北瀬佳範氏とファイナルファンタジー10を振り返る

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ファイナルファンタジーはシリーズを通して、ゲーム機の可能性を最大限引き出すことに定評がある。1997年にFF7がプレステで発売した時は、移行したハードを効果的に利用し、3Dグラフィックとムービーシーンの新時代RPGの牽引役を担った。プレステからプレステ2へ移行した際はビジュアル面で劇的な進化はなかったものの、新機種で初の作品として、FF10ストーリーテリングの新世界を切り開いた。

 

数多くのFF10たる定義は単なるFFシリーズの一作として、グラフィックのクオリティの格段の進化だけに留まらない。町やダンジョンで平面の背景に甘んじることなく、3Dの環境を徹底している。世界全体とフィールドの境界を排除したことで、世界に生き生きと繋がっている感触を与えた。吹き替えを入れたことでプレイヤーはキャラクター達の息遣いを感じられる。たとえ一部のプレイヤーがティーダとユウナのワンシーンを嘲笑しようともである(実際に二人が作り笑いをするシーンがある)。どれも現在のFFにおいてスタンダードになっている要素だが、その起源はFF10にある。

 

また本作はFFシリーズのテーマを力強く進化させた。スピラの世界では、万物に死の螺旋が流れている。「シン」と呼ばれる怪物が無差別に町を破壊して生物を殺す。そこで召喚士は生贄となってシンを食い止め、ほんの数年間の平和を稼がねばならない―が、シンは何度も蘇る。更に、キャラクター達も彼らに立ちはだかる課題と共に生きている。ユウナは父親の例に応えたい、ティーダは父親に見捨てられた経験と格闘する。こういった苦悩はキャラクター達の会話や、表情が豊かになったことで明確に描かれ、悲哀と願望がないまぜになったユニークな色彩は、テレビゲームではほぼ達成し得なかった手法で共感を呼んだ。

 

上記はほんの表面に過ぎない。機知に富んだカウントタイムバトルシステムで、仲間たちを自在に交代させたり、バラエティー豊富なミニゲーム(水中サッカーのブリッツボール等)が旅に彩りを加えている。この面白い仕組みと物語のコンビネーションがシリーズ初、直接の続編を産みだしたFF10の人気の所以であり、一部のファンは今も更なる続編を期待している。今後の展開はさておいて、その実績は明解だ。FF10RPGのランドマークであり、本誌は名作の背景にあった意図を知るべく、プロデューサーの北瀬佳範氏と対談する機会を得た。


FF10プロジェクトの初期段階では、チームでどういった目標を掲げましたか
北瀬:FF7FF8と続編と、それぞれのシリーズはすごく西洋的・未来的な世界観を描いていました。脚本の野島(一成)が「新作はもっと強いアジアテイストの世界を描こう」と提案したんです。私達に馴染み深い文化・慣習に基づいたファンタジー世界を創造しようというアイディアが、その時は実に斬新に感じられて、その通りにすれば必ず成功すると確信していました。

 

FF10はシリーズ初のPS2の作品で、吹き込みが実現したわけですが、それでゲーム作りへのアプローチに変化がありましたか
北瀬:それまではシナリオライターが書いた会話がそのままゲームに反映されていました。しかし声の録音作業が加わって、声優さんとその創造性も入ります。彼らの演技に調整して会話が改善して、それまで以上にキャラクター達が精彩を放つようになりました。その化学反応は当時予想できていなかった我々にとって、喜ばしい誤算でした。

 

あの「笑顔の練習のシーン」は悪い評判になっていますが、プレイヤーの反応にはどう感じていますか
北瀬:現実の世界においても、ロマンスの関係を築く二人の行動というのは、後で思い返すと概して恥ずかしい思い出になります。私はあのシーンは実に上手く心象を表せたと思います。もちろん今もファンに笑われますが、それはきっと誰の心にもある「何か」にしっかりと触れられた、18年経った今でも記憶に残るシーンであるからだと思います。

 

ゲームをリリースする前に、ブリッツボールはゲームエクスペリエンスを阻害すると思いましたか
北瀬:いいえ、その反応はまったく予想していませんでした。ブリッツボールは私の自信作でした(半分は自己満足のためでもありますが)。元々は物語の進行に必要なゲームではなく、プレイヤーが任意でプレイできる追加機能として予定していたからです。しかし結局ブリッツボールは物語に必須ルートになり、強力な武器を手に入れるにはブリッツボールをプレイする必要があるように変更しました。これによって悩んだファンの皆様には大変申し訳なく思っていますが、当時のゲームの特徴として捉えて頂けると幸いです。

 

七曜の武器を手に入れたいプレイヤーに、雷避けとチョコボレースを難しく設定したことについて後悔しませんでしたか。ご自身でクリア可能でしたか。
北瀬:ミニゲームを担当した開発者たちはもちろんクリアしていました。私も個人で雷避けはクリアしましたが…(咳払い)。当時のゲームとして後悔はしていませんが、例えばもし、今日リメイクするとしたら、もうちょっと考えるかもしれません。

 

最終的にカットしたけれど、入れたかった要素などはありますか
北瀬:当初のプロットでは、プレイされたオープニングのザナルカンドのシーンはもっと長かったです。そのプランで行くと、スピラに飛ばされる前にFF7にちょっと似た世界を体験できていました。

 

FF10は大量の破壊と死を描いて、全体的に悲壮感が漂っていますが、開発中に物語が重すぎると感じたことはありますか
北瀬:フル3Dグラフィックとキャラクターのボイスを実装して、どれほどファンにストーリーの感情が強く伝わるか想像していませんでした。開発中に自分が作ったゲームで泣くのも初めての体験でした。それと同時に、ゲームは物語やドラマを語るメディアに進化していると感じたので、一切心配しませんでした。

 

ジェクトとティーダは異界で仲良くなれたでしょうか
北瀬:親父は少年にはライバルとしても映りますから、多分異界でもずっと同じでしょう。

 

FFシリーズのリリースするスピードに驚きませんか。1999~2003年は毎年新作(8,9,10,11,10-2)が発表されています。どうやっていたのでしょうか
北瀬:そうですね。100人にも満たないチームで1年間で一つゲームを開発していたことは本当に驚きです。今ではどんなにプロジェクトで増員したとしても、FFと同等規模のゲームの開発期間を縮めることはほぼ不可能でしょう。我々が現在作っている3DCGのゲームは、映画製作のように巨大で洗練された製作フローを取り入れているので、もう元の製作フローには戻れません。ですのでプロジェクトの初期設計段階にはかなり時間をかける必要があります。当時は開発を始めた時期に、ゲームデザインを十全に肉付けしていないことが何度もありました。たとえば、FF6で崩壊後の世界のシナリオはゲームの開発がかなり進んだ後でも準備できていませんでした。

 

公式と一切関係なく、FF10-3の可能性についてスクエニ社内で話が盛り上がることはありませんか
北瀬:FF10の製作に関わった仲のいい人達数人と話題に上がることは時々あります。ただそれは単なる雑談で実現に向けた動きは全くありません、プロジェクトが始まれば間違いなく数百人のスタッフが関わる巨大プロジェクトになります(その上先に終わらせないといけない現行のプロジェクトを抱えています)。